高岡簡易裁判所 昭和45年(ト)17号 決定 1970年10月01日
申請人
前田良夫
被申請人
宗教法人大仏寺
代理人
正力喜之助
主文
申請人の本件申請を却下する。
申立の趣旨
被申請人は、被申請人の境内に備付けの梵鐘を鳴らしてはならない、との裁判を求める。
申立の原因
(1) 申請人は、別紙図面の示すように、被申請人所有の係争梵鐘に極く接近して建在する家屋に、妻敏子(四八年)長男敬治(一八年)と共に居住しながら、宅地建物取引業を営んでいるものであるところ長男は、目下工業等学校土木科三年に在学し、進学のため、大学受験準備中なるが、父子共に夜遅くまで、営業および勉強しておるため、朝は遅くまで睡眠しておるものである。
(2) ところが、被申請人と申請人とが一寸したことで仲違いをしているためであろうか、最近被申請人は、町内の若い人を集めて朝夕に、この梵鐘をつき鳴らすので、その異状な騒音のため、申請人および家族は生活の安全を害されるに至つている。
(3) よつて申請人は、本日御庁に対し、梵鐘による騒音停止の裁判(当庁を合意管軸裁判所とし、昭和四五年(ハ)第四五号騒音停止請求事件として受理)を求める旨請求をしたが、この本案の判決あるまで、被申請人が右行為を継続するにおいては、申請人はもとより、その家族は病気となり、または大学受験不能となる虞が多分にあるにつき、被申請人は、右行為をやめよとの仮処分の裁判を求めるというにある。
理由
当裁判所は、<証拠>を綜合すると、次のとおり認定し、判断する。
(居住権、生活環境権について)
申請人は、昭和四五年六月二四日より、被申請人(以下単に寺院と略称する)境内に隣接している肩書地の自宅に居住するかたわら、宅地、建物取引業を営んでいるものであるが、右自宅は、寺院の境内北西側に建在する本件梵鐘をつるしてある鐘楼の至近距離に隣接して存在する。
そうして、申請人宅および寺院の所在地は、騒音規制法に基づく指定区域で、しかも特定工場等の規制基準からすると、第三種区域すなわち、住居の用にあわせて商業、工業等の用に供されている区域内にあることが認められる。
そこで、およそ人間として、その健康を保護し、文化的で、平和な明るい社会環境を求め、かつ、それらを保全しながら、生活を営む一般人としては、毎日の「日の出」の前後を朝の起床時とし、「日没」前後を、夕方とし、昼間の労働を終えて、夜間の生活動作に移行するものであることは、一般社会の通念であつて、人間生活にとつて至極当然であり、自然のことである。
それが特殊な職場環境におかれて生活する者も例外なく、朝、昼、晩にそれぞれ法の下に自由かつ、平等な生活を営んでいることは、いうまでもないことである。従つて双方は、居住、職業職択の自由を有し、生活環境権のあることは当然のことである。
(寺院および寺院境内にある高岡大仏、本件梵鐘の歴史について)
(イ) 寺院は、承久年間(西暦一二一二年)摂津の国の住人多田義勝なる人が、現在、高岡市にあつて、景勝の地二上山の山麓に大願をおこし、丈六の大仏を造立し、護持の金銅仏をその腹中に納め、一宇を創建して大仏殿としたもので、その後、慶長一四年(西暦一六一五年)前田利長公、高岡城築城の折、この大仏殿を現在の地に移したもので、文政四年六月二四日(西暦一八二一年)と明治三三年六月二七日(西暦一九〇〇年)、高岡大火に類焼の厄にあつて、いずれも再建、今日に至つている。
(ロ) 寺院が護持している大仏は、奈良、鎌倉とあわせて、日本三大仏といわれている青銅からなる大仏で、一〇年の歳月をかけて竣工したもので、この大仏は、伝統三〇〇年を誇る高岡銅器の象徴ともいわれているものである。
(ハ) 疏乙第四号証によると本件梵鐘は、文化元年八月五日(西暦一八〇四年)時の高岡町奉行寺島蔵人の発願により、町の報鐘として鋳成し、同二年九月、二番町町会所構内の仮鐘楼に釣り、同月一一日暁六時より撞き始められたが、其の翌年の文化三年三月(西暦一八〇六年)に改鋳されたところ、明治一二年三月三日(西暦一八七九年)高岡大火により鐘楼焼失、明治二三年一二月(西暦一八九〇年)右鐘楼を、今の高岡市堀上町にある関野神社境内に再建、同年には時鐘施行規則が発布されており、明治三三年六月二七日(西暦一九〇〇年)に右鐘楼が、高岡大火に再度類焼したため、以後右梵鐘を使用しなつたか、昭和六年五月一六日(西暦一九三一年)高岡市より寺院に寄進され、同寺の宝物にされたが、昭和三七年三月三〇日、高岡市の文化財に指定され、今日に至つているものである、ことが、それぞれ認められる。
(本件梵鐘の使用状況について)
これま寺で院の住職の地位にある者は、代代永年に亘つて、よく風雪に耐えながら年中無休で、「時」を告げるため、朝、夕の六時(六時と一八時)、定時、定刻に毎回七打に亘つて「ゴーン、ゴーン」と荘厳な音色を近隣に響かせていたが、申請人が肩書地に住むようになつてから、同人およびその家族より、寺院の住職に対し「梵鐘がやかましいから打ち鳴らすのをやめよ」とか「寺院の信奉する浄土宗は邪教だ」とかいつて、梵鐘使用中止方強く要求され、これがため強談、威迫の行為があつたので、寺院の代表者は、その要求が余りにも強引なので、身の危険を感ずるようになり、寺院を保存し、隆盛を祈念する信者で結成している高岡大仏奉讃会、寺院所在の町内会である定塚町一丁目親和会、大仏前通り商盛会の各役員協議の結果、昭和四五年七月八日より同年九月九日までの六四日間、朝の打ち鳴らしを中止したが、同年九月一〇日より夕方の六時はその儘とし、朝の六時を七時に変更し、従前どおり、朝、夕の二回それぞれ梵鐘を打ち鳴らすこととし、右保存会の役員は、寺院住職の身の安全を保護するため、役員交互に打ち鳴らし現在に至つていることが認められ、その梵鐘を打ち鳴らす時間は、一回、七打で六〇秒ないし八〇秒で、一日二四時間のうち二回、一四打で一二〇秒ないし一六〇秒内外である旨、戸出参考人らは供述している。
なお、本件梵鐘は、右時報に使用する外、寺院で行われる法要の際と、除夜の鐘に使用することを、永年の慣行にしていることが認められる。
(騒音規制法と本件梵鐘との関係について)
騒音規制法(昭和四三・六・一〇法九八号)は、高岡市には昭和四四年四月一日から施行され、双方の所在地は、前記のとおり規制基準の第三種区域に指定されており、規制の対象になつている騒音は、同法第一条所定のとおり、工場騒音建設騒音であり、本件のような梵鐘による音響は、右規制の対象外である。
疏甲第一号によると、本件梵鐘による音響は、八八ホン程度で、右指定区域内の規制基準は、午前八時から午後七時までは六五ホンで、午前六時から午前八時までは六〇ホンであるから、この基準からすると遙かに高音である。高音だからといつて騒音とはいえない。騒音の語義は、振動数が不規則で、不愉快でやかましい音をいうとなつているから、騒音というには、高音と低音が入り乱れ、または高音だけがそれぞれ或一定の時間、継続または断続的に発生している音をいうものと解する。
古来、梵鐘による音響を、諸業無常の鐘が鳴るとか、仏心を呼びさますとかいう言葉に喩えられ、概ね寺院における法要を営む際に活用し、本件のように「時」を告げるときに利用され、殊に、歳の瀬の越年、迎春に際し、除夜の鐘として、深夜の夜空に響き渡る「百八」の音色の壮厳さは、遍く日本国民の皮膚に染み込み、溶け込んでいることは、今更いうまでもないことである。
そこで本件の場合、永年の間、寺院住職の奉仕的慣行行為により朝夕永続して打ち鳴らされ、現在に至つており、これに対する近隣の住民感情は、申請人および家族を除く大衆は、耳馴れしている関係も手伝つてか、永い歴史の中に誠に正確な「時」の知らせであつて、これを聞く者をして、一種の愛着感、親近感さえ抱かせ、この音響を生活動作の標準時と心得、これを合図に生活行動をとるようになつていて非常な好感と感謝の念にかられていることが認められる。仮りに右好感、感謝の念がないにしても、現今諸所に行なわれている時報、正午などのサイレンと同視すべきであつて、その必要性と大衆の利益とを考え併せると、正当かつ重大な特別の事由が存在しない限り、音響管制をなすべきでなく、またこれを要求することは失当である。
(結論)
双方の現住する町内は、ローカル的ながら、右高岡大仏の存在することによつて、由緒ある歴史の地として、観光の地、商業の地として繁栄し、活気溢れる定塚町商業の地であることが認められる。
申請人としても、これらを充分認識し、求めてこの地を安住かつ営業の地として移住してきたものとすれば、町内に先住する近隣の町民と共に、これを誇りとして町内の繁栄を企図し、寺院の保存に協力すべき筋合であると解する。
申請人は、最近寺院は町内の若い人を集めて朝、夕に本件梵鐘をつき鳴らしている旨主張しているが、申請人は、最近移住してきたばかりの者で、寺院こそ永年に亘り、寺院の奉仕的慣行行事として継続して梵鐘を打ち鳴らしていることが認められる。
また、申請人は、梵鐘の異状な騒音のため、申請人およびその家族は生活の安全を害される旨主張するが、梵鐘の音響は、前記のとおり、八八ホン程度であり、それが一日、二四時間のうち、朝、タ二回一四打で二分間内外の音響を発生させているだけで、これが異状の騒音とは認められない。なお、生活の安全を害されるに至つたというが、その害されたという具体的事実が判然せず、それを認めることができない。それのみならず申請人は、営業のため、夜遅くまで起きており、申請人の長男は、大学受験準備のため、夜遅くまで勉強しておるため父子共に朝寝するので、朝の右音響は、安眠妨害になると主張するから、この点瞬間的にも、安眠妨害にならないとはいえない。この朝寝坊、夜更かし型を対象にしないで、一般人を対象にして、朝の六時ころを「起床時」としても、何等不自然とはいえないし、早寝、早起は健康のもとであると信じている人のあることを思い併せると、この環境に住む者として、この程度の音響に対しては、この儘忍受し、環境に順応していかなければならないものと解する。また、右忍受することを要求したからとて必ずしも基本的人権を犯すものであるとは考えられないし、平穏な社会生活環境を破壊するものとも解されない。
そこで申請人は、最近自己が買受けた現住の土地、家屋の裏の寺院の構内で、しかも至近距離に寺院の鐘楼のあつたことは全く知らなかつたと強く弁疏するが、申請人の職業柄、その弁解は到底信用できない。
いうまでもなく、不動産の取引をするときは、不動産そのものの利用価値は元より、その不動産の周囲の状況、例えば住宅や商工業に適する場所かどうか、交通の便、不便、生活環境、など、諸般の状況を考慮に容れ、その取引の目的に合致する場所を選択してきめられるものであるが、申請人は素人ならいざ知らず、不動産取引業者として、一般人より遙かに高度の専門知識を有し、その注意力、理解力のもとに右取引をすべきであつたのに、申請人は真実右梵鐘の存在を知らずして買受けたとすれば、全く杜撰極まる取引をしたものといわざるを得ない。なお本件のように自宅で生活しながら営業をしていこうとするには、往往にして生活面と営業面とは両立し得ない場合がないとはいえない。若しそうした場合があつたとすれば二者択一、どちらかの一方を犠牲にすることもやむを得ないことと解される。
本件梵鐘について、前記梵鐘の歴史の部(ハ)についてさらに附言すると、「文化二年九月一一日(西暦一八〇五年)朝六時から撞き初めたり、茲において高岡町民は最夕鐘声を聴きて深省を発するの便を得たり、茲において高岡町民は最夕鐘声を聴きて深省を発するの便を得たり」とあり、また明治二三年の時鐘施行規則第三条に「撞鐘点数は時数に拠るものとす」と規定されているところからすると、朝、夕六時とすると鐘を六ツあて撞き鳴らしてきたものと推認する。
何れにせよ従来、中止、中断の時期があつたにせよ、今から一六五年前につき始めた梵鐘のつき鳴らしを、かたくなに守り続け、近隣の住民に「時」を知らせてきたことが認められる。寺院としては、前記寺院保存会員と信徒の一致した意見により、折角、文化財に指定され伝統ある本件梵鐘を鐘楼につるした儘、観賞の用に供し、梵鐘としての効用を充分発揮させず、死蔵化させることなく、伝統と慣行を持続させようとすることが認められる。しかし、申請人は、本件音響は、申請人および家族の安全を害し、病気の原因となり、大学受験不能の虞があると強く主張する。そこでこれが打開策としては、双互の立場を理解し合つて、この際、
(イ)防音の措置を講ずること。
(ロ)耳馴れを俟つて感情緩和に努力すること。
(ハ)朝寝坊、夜更かし型を変更、是正すること。
(ニ)明治二三年の時鐘施行規則のとおり、撞鐘点数を、その時数に拠らしめること。
など考えられるが、申請人において本案の判決確定を俟つ余裕すらない急迫性は認められないから、申請人の主張は採用できない。
よつて主文のとおり決定する。(桜井三松)